2009年11月
 16日に開院記念日を迎える11月のトップページコラムは、実はいままで当院OBへの年一回の「業務連絡」でした。それぞれ個人的な理由で辞めざるを得なかったスタッフの誰一人として当院の力にならなかった人はいません。みんなその時々のチームの一員として当院を支えてくれました。今でもみんなの頑張っている姿をはっきりと思い浮かべることができます。

 開業の際、レセコンの最大容量が10万人分と聞いて、メーカーの担当者に不安を漏らしたことがあります。彼の返事は「大丈夫ですよ、ウチはレセコンのシェア7割ですが、町のお医者さんで10万人超えたところは、いままで全国どこにもありません。余裕をもって大丈夫ですよ」というものでした。
見果てぬ夢と思っていた10万というカルテ番号が、すぐそこに迫っています。医療はチームワークです。最高のチームであり続けるため、みんなには随分厳しく接してきました。悔しくて泣いたことも、辛くて挫けそうになった日もきっとあったことでしょう。それでも、みんなで力を合わせて築きあげてきた、この only one の実績に免じて許して欲しいと思います。私個人としても、このチームでみんなと一緒に仕事をして来たことが、精一杯生きた唯一の証です。
 みんな、今まで本当にありがとう!院長としての最後の業務連絡でした。

 
2009年10月
 開業した時に、還暦まではわき目を振らず(誘惑にも負けず)ひたすら医療に専念しようと固く決心していました。いわば心の鎖国状態です。いろいろなことがありましたが過ぎてみれば早いものです。20年などあっという間でした。第二の人生と言っても医者をやめるわけではないので、はた目には何も変わらないように見えますが、自分の意識の中では黒船が結構右往左往しています。
 人間の精神活動はつまるところ科学と宗教と芸術です。残念なことに科学はあちこちで限界が露呈し始め、宗教も本質から離れた欺瞞宗教が主流をなしています。私は芸術に関しては才能も感性も欠落していますので、今まで自分には関係のない分野と考えていましたが、ある日たまたま手に取った一冊の本が教えてくれたこと、「創造者ではなくとも鑑賞者にはなれる。鑑賞がクリエイティブな役割を果たすことすらある!」やおら元気が出てきました。
 いま私が手掛けようとしているのが「プティ・ミュゼ(小さな美術館)」です。世の中には実に多くの美しいものが、誰の目に触れることもなく眠っています。人の心に何かをよびさまさずにはおられない彼らを、コマーシャリズムから離れた純粋な形で街の中にちりばめることができないだろうか?
合言葉は「プティ・ミュゼは心のベンチ、ここらでホッとひと休み」です。

 
2009年9月
 「センセ、またお風呂入ってないでしょ?ちょっと臭いますよ!」
スタッフも付き合いが長くなると遠慮がなくていけません。私のもっとも痛いところをズケズケと突いてきます。その都度、「モゴモゴモゴ」と意味不明の言い訳をする羽目におちいります。もしもこの世に「面倒くさがり選手権」というものが存在したら、私は間違いなく上位に入賞する自信があります。(胸を張って宣言するほどのことでもありませんが…)
 そんなものぐさの私が、開業以来欠かさず行っているのが胸部X線の説明です。何だそんなの当たり前じゃないか?という声が聞こえてきそうですが、その説明が半端じゃないんだなぁこれが。すべての検査の中で最も情報の多い胸部X線を有効に利用しなければもったいない。患者さんを前にいきなり読影講習会が始まります。毎回毎回一定の順序でフィルムを指し示しながら患者さんと一緒にレントゲンの所見を読んでいると、そのうちに患者さんも(門前の小僧習わぬ経を読みではありませんが)ご自分で異常所見を指摘できるようになります。実は私はこれを狙って単純反復作業を続けているのです。医学には素人のはずの患者さんが自分自身の主治医。少なくとも、法律には素人のわれわれの裁判員制度よりは、スマートで実利的な方式だと思われませんか?

 
2009年8月
 先日千葉大学の合唱団に用事があったので、昼休みの空き時間を利用して、ものすごく久しぶりに西千葉のキャンパスを訪れました。以前の記憶を頼りに部室のありそうなところを探してみましたが、むかし汚い部室が密集していたあたりの雰囲気は全く変わっており、いい年をして迷子になってしまいました。歩いている男子学生に合唱団の部室を訪ねても、「さあ?」と首をひねるだけで、心細さは募るばかり。時間は刻一刻と過ぎていきます。プラカードをもってビラを配っている二人連れの女子学生に尋ねると、「たしかサークル会館の中に入っていたと思います。お連れします」と仕事の途中なのに連れていってくれました。道すがら見覚えのある学生食堂がありました。私の学生のころは工事現場の中のオアシスみたいな存在でしたが、いまやおしゃれなカフェに囲まれた廃墟のようなたたずまいに変貌していました。「私の学生のころはここしかなかったのですよ。当時一番人気のカレーは35円で、結構おいしかったのですが一つ問題がありました。そのカレーが持っているカロリーよりも、それを消化吸収するカロリーのほうが大きかったもので、食べれば食べるほど腹が減ったのです」女学生たちは一瞬キョトンとしていましたが、すぐに気がついて二人で大笑いをしていました。後輩との束の間のミニ交流でした。
 
2009年7月
 当院のスタッフミーティングは、三人寄れば文殊の知恵型です。たとえば3月末にメキシコで火の手の上がった今回の新型インフルエンザに対しては、4月初めのミーティングでもうすでにH1N1型の弱毒型である以上、不必要に恐れることはないと判断し、通常診療を続けています。インフルエンザを疑う患者さんは特別な動線で移動、待機をしていただきましたから、当院には意外なところに秘密の通路や秘密のスペースがあることに、初めて気付かれた患者さんも多かったのではないでしょうか?その後国内でも感染者が認められ、問い合わせなども増えていきましたが、ホームページに掲載した5月5日のずっと前に、当院の実質的な戦闘は終了していました。今回フェーズ6になったからといって、われわれの判断を替えるつもりはありません。
 現在のスタッフミーティングの最大のテーマは「摘便」です。下剤や浣腸では全く歯が立たず、かちかちになった便をほじくりだすアレです。メンバー全員がそれなりのテクニックを持っていますが、外来では実行しがたい手技です。あの臭気は容易に消え去るものではありません。さてどうする?今までありとあらゆる難問に(無謀にも)立ち向かってきたわれわれが、今度ばかりは弱気に立ち往生しています。

 
2009年6月
 Fさんが当院を初めて受診したのは、彼女が9歳になってしばらくしての6月の蒸し暑い日でした。肌は小さいころからのアトピーで赤くただれ、一部は掻きこわしてトビヒのようになっていました。もっと可哀そうなのは頭皮で、部分的に脱毛が始まっていました。年齢的にはちょうど中途半端な年頃で、大人の治療では強すぎるし、子供の治療ではなかなか効果が現れません。Fさんも親御さんも本当に良く耐えて治療を続けてくれました。

 アレルギーの強さを表すIgEは正常の50倍以上もありましたから、アレルギーはその後季節の変わり目などに様々に姿を変えて彼女を苦しめました。花粉症の時期には鼻炎や結膜炎だけではなく、喘息も悪化し始めます。アレルギーは病気と言うよりも体質ですから、風邪や肺炎のように良くなったらそれで終わり、という訳にはいきません。気がつくと10数年の歳月が流れていました。アレルギーなどの慢性疾患の患者さんと家庭医の間には、戦友のような絆がはぐくまれていくようです。モンスターペイシェントの相手に疲れ切り、日々人類愛の薄れて行く私に、何としてもこの子を治してあげたいと思ったあの日の家庭医としての原点を思い起こさせてくれる貴重な存在、それがFさんです。思いがけないところに人生の師というものはいるものですね。

 
2009年5月
 私たちは幸か不幸か、水平線の向こうに何があるか知っています。広大無辺な宇宙のかなたの不思議な世界も、微細な原子の奥深くの構造も、明日はおろか100年先の天候さえも予見することができます。現代のわれわれは、そうしたことを自明の理として物事を判断しがちですが、地の果てには魔物がすむと信じられていた古代の人々はどうだったでしょう?彼らにとって、確かなことなど何一つありません。自分を取り巻く自然の強大さに比べて、自分が何とちっぽけで哀れな存在であることか!おのれの無力さに打ちひしがれる日々だったに違いありません。そんなとき、宇宙の智慧、自然の摂理といった絶対的なものと交信できる唯一の機会が、晴れていれば夜空に現れる満天の星。季節の移り変わりと規を一にして、毎年同じパターンで示される夜空の設計図だったのではないでしょうか。古代の人々は必死にその暗号を読み解こうと努めたことでしょう。私は以前、ストーンヘンジやピラミッドなどの古代遺跡を、安易に天文台とみなす専門家の見解に疑問を抱いていました。しかしある晩、空気の澄み切った酷寒の山頂から、おびただしい星座の群れを仰ぎ見たとき、私は古代の神官たちの熱い思いを肌で感じました。あ、こういうことだったのか!それ以来私は古代遺跡巨大構造物天文台派です。
 
2009年4月
 30年ほど前にインドのデカン高原で拾ってきた瑪瑙の原石を、先日ふと思い立って洗ってみました。タワシでごしごしこすると、石は思いがけない輝きを放ち始めました。「どうだ、少しは聞こえるようになったか?」「いえ、まだ良く聞こえません」「そうか、良く心を澄ませよ」それから私と印度瑪瑙の会話が始まりました。

 立場上心ならずも、これが正しいとかこれは間違っているとか口にすることがあります。そのたびにどこからともなく「小賢しい」とか「おこがましい」と言う声が心に響いてきます。「話を先に進めるために仕方ないのです」と私が言うと、「言い訳をするな!」と叱られます。

 ときおり、こんなことをして何になるのだろう?こんなことに何の意味があるのだろう?と思うことがあります。するとすかさず聞き覚えのある声が、「意味など無い!意味を問う意味などさらに無い!」と言います。私も人並みに人生について悩み苦しむこともあります。そんな時には「まず目の前のやらなければならないことを一生懸命やれ!」と叱咤されます。印度瑪瑙は一生懸命と言う言葉が好きなようで、二言目にはそれを言います。「先ず一生懸命」その不思議な力が引き起こす奇跡についてはいずれまた…

 
2009年3月
 かかりつけのDさんは、入れ歯を外すとお孫さんが褒めてくれるそうです。「おばあちゃん、そんなにいっぱい歯を抜いて、ちっとも痛がらないから偉いね。」思わず笑ってしまいましたが、不思議なことに数日後の外来で同じような話題が出ました。今度は古くからの男性の患者さんのYさんの話で、お孫さんたちの相手に疲れてくると、いきなりカパッと入れ歯を外すそうです。「怖がってしばらく近寄ってこようとしません。」これにも思いっきり笑ってしまいました。

 インフルエンザがひと段落して平穏な時間が戻ってきました。患者さんの深刻な悩みに耳を傾ける時間も次第に増えつつありますが、時間的余裕ができるとまず真っ先に増えるのは、顔見知りとのたわいのない会話です。水虫の患者さんに、「これは人にうつさないと治りませんね」とか、検査で何の異常もない患者さんに、「あなたは際限なく長生きします」と真面目な顔で話をするおかしさはその場にいないとわかりにくいかもしれません。

 このところどういう訳か、うちの患者さんの何名かが立て続けにテレビに出ました。NHKのきれいな素人のコンテストで優勝したKさん。そばの老舗でそばの紹介をしたNさん。日航の労使交渉の立役者Mさん。みんな颯爽として素敵でした。彼らは医者しか知らない私に、外の世界の風を運んできてくれます。診療の合間の彼らとの会話も、私の活力の源となったのは間違いありません。

 
2009年2月
 NHKの百名山で利尻富士を放映していました。山頂付近の峨々たる岩稜は画面で見ても迫力のあるものでした。ん?待てよ、ここは登っているぞ。そう、確かに学生時代、例のバレーの遠征の後利尻富士に登りました。メンバーは中村Aさん、高橋、村松、私の4名。海抜0mから登り始めますからそれは結構大変な登山でした。7合目でテントを張りましたが、渇水で水場にはミミズの浮いた溜まり水しかなく、仕方なく我々はそれでコメを炊いて食べましたが、その日のオカズは麓で買った魚肉ソーセージ1本だけでした。コメは翌日のぶんも倍量炊いて持って歩きましたが、翌日はとても風の強い日でガスコンロに火のつけられそうなところがありません。やむなく火山灰の壁を掘って急ごしらえの風洞を作りました。鍋の中にコメと貴重な水と鮭缶と醤油を入れてちょうど良く煮立った所に壁の火山灰がバラバラと…じゃりじゃりした歯触りでしたが、あれほどおいしい雑炊をたべたことがありません。今でも仲間内では利尻雑炊の話がよく出ます。まさに空腹は最高の調味料です。
 山登りして頂きに立たなかったことは1回もありませんから、利尻の山頂にも立っているはずです。それなのにどういう訳かその部分の記憶だけスッポリと抜けています。むむ!やばい!いよいよ始まったか!皆さんは当院の受診を少し考えたほうが良いかも知れません。

 
2009年1月
 若い母親と小さな女の子が受診しました。母親が当院を初めて受診したのは5歳になる直前で体重は15kgでした。娘さんはまだ3歳で体重は同じ15kg。母親にカルテを二つ並べて見せると「まあ、おデブちゃんね」と娘に笑いかけました。母親は自分の幼いころのカルテの余白に「メガネ舐める」と書いてあるのを目ざとく見つけました。私の記憶がゆっくりと20年近く昔の外来の風景を辿ります。「そうそう、君は急に僕のメガネをなめ回したんだよ、すぐに洗うのもなんとなく悪いような気がして後で洗うつもりだったんだが、つい忘れていてうっかりそのまま掛けてしまった」その時のネチョーとした感じまで蘇ってきました。熱にうなされて妙な行動をとったのでしょう。脱水気味だったので唾もあれだけネバネバしていたのでしょうね。カルテを前に、思いがけず想い出話しに花が咲きました。
 時々そっくりさんが受診するもので、「私は氷川キヨシではありません。念のため」とか「私はくたびれた山本譲二ではありません。念のため」と小さい字でカルテの所見欄に書いておきます。あとで事務の人に、吹き出しそうになるので困りますと怒られます。「だって、目の前にあの顔で立っているんですもの…」
カルテもコミュニケーションツールとして活躍しているのですね。