2008年12月
 子犬は恐ろしい夢を見ていた。それは、夜の薄明かりの中に、巨大な人間の足がヌッと立っている、ただそれだけのものであったが、子犬はあまりの恐ろしさに呻きながら目を覚ました。子犬はまだ生まれたばかり、ようやく目が見えるようになったばかりである。暗がりの中でまず彼の目に入ったのは、彼を取り囲む段ボールの壁であった。子犬は猛烈なのどの渇きを覚えた。彼は必死に段ボールの壁をよじ登ろうとしたが、生まれたばかりの子犬のか弱い力では、それは全く無理な相談であった。絶望という言葉はおろか、その概念さえ知る由もない子犬は、ひたすら無駄な努力を続けた。千鳥足の酔漢が、捨てられた子犬の入った段ボールの箱に躓いてそれをひっくり返さなければ、彼はその晩のうちに絶命していたことだろう。それほど脱水は進行していた。子犬は生まれてから母犬の乳を一度も口にしないうちに捨てられていたのである。それでも本能というのは驚くべき力を持っている。子犬はかすかな水の匂いに導かれ、よろよろと川に向かって歩き始めた。

 やっとの思いで子犬がたどり着いた河川敷の草むらの中に光るものがあった。それはこのあたりを縄張りとする野犬の眼であった。異様に光る眼は次第にその数を増やし、やがてすさまじい勢いで子犬に襲いかかってきた。
2008年11月
 寒くなると高熱の子供たちが大勢受診するようになります。こうしたケースの中にはA群容連菌が潜んでいる場合があるので、のどのチェックは欠かせません。ところが子供はこれが大の苦手、中にはオペラ歌手のような大声で泣きわめく子もいます。よほど、ビデオに撮ってこの子の結婚式に流してやろうか、と思います。ひと騒動終ってお母さんに説明していると、さすがに大泣きしてちょっと体裁悪いのか、目一杯気張ってガンを飛ばしてくる子がいます。眼の端に一生懸命すごんでいる姿が見えると、もうおかしくてたまりません。真面目に話をしている口元が次第に緩んでくるのが自分でもわかります。ちょっと商売の邪魔をしないでくれよ。

 この11月で開業以来丸19年になります。この原稿を書いている10月30日現在のカルテ番号は85,887番ですから、生後14日から103歳までの8万名以上の名優が、思い思いのパフォーマンスを繰り広げてくれたことになります。私が院長でいられるのもあと1年、本当に早いものです。診療日時は変わりませんが、人事や財務や税務などの経営の雑事から解放される分、医療に向き合う時間が増えることでしょう。診療レベルもちょっぴり上がるかもしれません。
2008年10月
 稲毛に点字図書館があった頃、JR稲毛駅から図書館までの歩道に点字ブロックが埋め込まれていました。その上に平気で自転車を停めていく人があまりにも多いことに驚き、秘かに脇にどかしていましたが、そのうちにF銀行(現M銀行)の警備員のSさんが"片付け仲間"に加わってくれました。なにせお客様かもしれない人たちの私物なので、私たちは違法駐輪車を優しく扱いましたから、ハンドルの曲った自転車が増えたのは全くの偶然です。

 点字図書館には朗読のボランティアというものがあり、先輩のY先生の命令で関わることとなりました。意外だったのは、小説などの文芸作品だけではなく、科学的な専門書も何冊か録音されていたことでした。実際に始めてみると、自分の声がずいぶん安っぽく聞こえて、ちょっとがっかりしました。それでも、自分の吹き込んだテープを借りてくれる人がいないと、妙にさびしいものです。そのうちに、たいして役に立たないままに、私は多忙を理由にボランティアを辞めさせていただきましたが、私よりはるかにお忙しいY先生は朗読を続けておられました。

 やがて点字図書館は四街道に移りましたが、当時の人間関係は(細々ではありますが)今も続いています。利害を超えたつながりが今ではとても貴重に思えます。
2008年9月
 昔と比べると、世の中は格段に豊かになっています。しかしそれがそのまま心の豊かさや、幸せに結びつかないことが、新たな心の問題を生み出しているようです。たとえば、見放されるのではないかとの恐怖から、妙に愛想が良かったり、必要以上に迎合的であったり、やたら相手を褒めそやしたりする人がいます。逆に、見捨てられて傷つくことを恐れるあまり、最初からことさら投げやりな態度をとったり、わざと嫌われる様なことを言ったりする人もいます。

 そうしたケースに出会うたび、彼または彼女の孤独な魂を抱きしめてあげたくなります。なぜならば、いずれのケースでも、こうした振る舞いを無意識にする人たちは、大抵が過去にいく度か身近な人に傷つけられた経験を持っているからです。彼らはトラウマを抱えながら、なんとか精神的にバランスを保っているのでしょう。貧しくともささやかな喜びを家族で共有していた時代には、あまり見られなかった現象で、こうしたケースが増えつつあることに危機感を抱きます。
2008年8月
 いつも温和なかかりつけのOさんが、「癌になりたい」と不穏当なことを言い出しました。おずおずと理由を尋ねると、「自殺では保険金が下りないから、病気で死ぬしかない。卒中で寝たきりになって子供たちに迷惑かけたくないから、癌になるのが一番いい。」とのことでした。本当に今の日本のお年寄りは、悲しくなるほど健気ですね。自分の最期のことなのに、ろくに大事にもしてくれない家族のことを、まず第一に考えるのですから。それにしても、Oさんの家がそんなに経済的に逼迫していることに、まったく気付いていませんでした。家庭医失格です。

 もう少しすると、骨の髄まで競争の原理がしみこんだ"団塊の世代"が高齢者の仲間入りをし始めます。勝者は勝者なりに、敗者は敗者なりに、人間として大事なものを、ポロポロと取りこぼしてきた年代です。きっと一筋縄ではいかない、自己中心的でいやーな性格の年寄りが増えていくことでしょう。私も団塊の世代だから、それは断言できます。でも、憎まれっ子世にはばかるとか、日本はますます殺伐とした雰囲気になりながら、妙に元気になるのではないかと考えています。少なくとも、家族のために癌になりたいというような殊勝(?)な考えを持つ老人は一人もいなくなることでしょう。
2008年7月
 上村(かみむら)は悪い奴です。学生時代、並んで立ちションをしていると、「あ、しずくが手についた。」と言って、悠然と私の背中で手を拭いていきました。一時間目の授業には出席したためしがなく、いつも私が代返をしていました。彼とは全学の"旅の会"というサークルで一緒でしたが、ある日仲間の誰かが捨てられた子犬を拾ってきて、部室で飼うともなく飼い始めたことがあります。私は医学部のバレー部にも所属していましたので、朝錬の前に旅の会の部室を覗いてみると、なんとそこには朝方いるはずのない上村の姿が・・・。例の子犬はペチャペチャと上村の持ってきた牛乳を舐めていましたが、そのうちにプリッと小さなうんこをしました。上村は私に目撃されたのがよほど照れくさかったのでしょう。「ハハ、こいつクソしやがった、ハハ」と照れかくしに笑って誤魔化していました。私はその姿を見て、こいつ意外といい奴かも・・・と思いました。

 その後上村は地域の住民には深い信頼を寄せられ、病院のスタッフにも熱く慕われる名院長になりました。しかし彼が理想を一つずつ実現していく度に、安房医師会病院の経営状態は一歩ずつ破局に近づいて行ったのです。好漢上村公平にしてなしえなかった病院の再建。わが国の医療行政は、やはり何かが間違っているとしか思えません。
2008年6月
 「山手線の輪の中」の取材で、このところ足繁く都内に通っています。一回当たり一万数千歩、距離にして毎回10km以上歩きます。コンクリートのビルとアスファルトの路面に象徴される、無機質な都市のイメージを一枚めくると、そこには実に豊かな世界が広がっています。皆さんは東京のど真ん中の四谷に、つい最近まで"つるべ井戸"があったことをご存知でしょうか?そうした懐かしい風景が、いま急速に消えつつあります。記憶だけにでもとどめておかなければ…、その危機感が私を駆り立てます。

 東京にはまた、思いがけないほど多くの自然が残されています。アングルによっては、これが本当に山手線の輪のなかぁ?と疑われるほどの広大な自然を写真に取り込むことができます。自分で写しておきながら、自分自身とても信じられない!と思うことがしばしばあるほどです。こうしたシーンは、新宿御苑、自然教育園、六義園、護国寺、皇居などでお目にかかることができます。

 私が最も惹かれるのは、路地や昔ながらの商店街などの人間のぬくもりのある風景です。谷中のような人気のスポットでも、何度も通っているうちに、どんなガイドブックにも載っていないような秘密の小径をみつけることがあります。足の疲れが一瞬で消えるのはそんなときです。皆さんとご一緒したいですね。
2008年5月
 今までずっと平凡な人生を歩んでいたので、いわゆる"当事者"になったことはただの一度もありませんでしたが、今回、年金問題で初めてその当事者なるものになりました。原は私の名前です。河内と書いて、私はコウチと読むのですが、カワチとかカワウチと正しく読まれなかった分は、いくら納入していても未入金として処理されていました。私は以前にもトップページコラムに書いたように、自分自身にこだわることが下手なたちで、自分の名前がどう呼ばれようと別に気にしたことはありませんでしたが、実害を被るにおよんで、相手にも訂正を要求し、私は「コウチフミオ」であると言明するつもりです。ああ、面倒くさい。それより面倒くさいのは、自分はきちんとお金を納めているのに、間違って読んでいい加減に処理していた役人は何もせずに、被害者である私が多くの手間暇をかけて、そこに記載されている昭和24年5月15日生まれのカワウチフミオは実はコウチフミオであると証明しなければならないということです。転居していたり勤務先が変わっていたりすると、以前の勤務先の住所とか、以前住んでいたところの電話番号なんかすらすらと出てきません。そうすると始めからやり直しです。何とも納得できません。こうした試練を乗り越えて、人間は大きくなって…いくわけないよなあ。
2008年4月
 尊敬という言葉は固すぎるし、敬愛というとうやうやし過ぎるし、どう表現すれば良いのか分かりませんが、要するに、私が眩しく眺める人たちがいます。中には私より一回り以上年下の人もいまして、Oさんもその一人です。彼女は私に、人生における"捨てること"の重要性を教えてくれた人です。たとえば私は医者でしか生きていけませんので、その資格にしがみついていますが、OさんはTPOに応じて、さらりとそれを捨ててしまいます。自己実現のベクトルの向かうままに進んでいき、今はMBAの資格を取るために、KEIO BUSINESS SCHOOL で学んでいます。それでも医師としての経験が無駄になることはないようで、彼女の研究テーマの一つに「高度先進医療の経済性について」というものがあります。おそらく経済だけを学んできた人とは一味違う、深みのある研究成果が得られることでしょう。
 同様のリセットボタンの見事な押し方を、今年退官されるK教授が見せてくれました。22年間の長きにわたり千葉大医学部の教授を続けられた、押しも押されもしない呼吸器病学の大家です。通常であれば大病院の院長に就任されるところですが、ご退官後は何と郷里の和歌山で、紀の川の上流の過疎地に小さな診療所を建て、生涯一臨床医を続けられるそうです。みんな何でこんなにカッコいいのだろう?
2008年3月
 それぞれの家に、その家の人間にしか通じないジョークとか、その家ならではの習慣、といったものがあることでしょう。私はウソをついたとき、10数えるうちに本当のことを言わなければ、怖いことが起こると言われて育ちました。長ずるにおよび次第にずる賢くなり、小学校に上がる頃には8、9まで踏ん張れるようになりましたが、「きゅう〜」と伸ばされるともうダメ、「ごめんなさい!」と泣きながら謝ることになります。
大人になってさすがに泣くことはなくなりましたが、9の壁を超えることは今だにできません。条件反射と言うべきか、トラウマと言うべきか、はたまた催眠術というべきか。そういえば10数えるとき、少し怖い顔をして、人差し指を立てて空中で四角を描きながら、「いち、に、さん…」と低い声で言われると、なにか人知を超えた力が働くようで、とてもそのプレッシャーに抗しきれるものではありません。これは私だけではなく、私の家では提唱者(?)の母も含め全員が、10数え終わる前に思わず白状してしまう呪縛に縛られています。
 これは我が家独自の風習かと思っていたら、数年前に、ウチでもそうだったという人に出会ったことがあります。お互い(期せずして)正直な人生を歩んできたことを喜びあいました。
2008年2月
 先日、今年86歳になるかかりつけのNさんが、バッチリ決めて受診されたので、「Nさん、随分力(リキ)込めているね、何かいいことあるの?」と尋ねると、「いいことなんか何もないわよ、この前風の強い日にバサバサの頭で来たら、先生、『飛んできたの?』って言ったでしょ。あれから私ここ来る時はパーマ屋に行ってんのよっ!」こりゃご無礼しました。それでもパーマ屋って言うとこが古いね。その日の外来は、それを契機に、歳を取ると美容室に行くのも一苦労だ、という話になりました。男は床屋で、長くてもせいぜい1時間で終わりますが、女性はひととおり終えるのに4〜5時間もかかるそうです。何でもなければまだ良いのですが、おなかの調子の悪い時などは考えてしまうのだそうです。へーっ?世の中にはまだまだ知らないことが沢山ありますね。

 それでもこれは、美容師さんに考えてもらうべき問題です。美しくありたいお年寄りはたくさんいるのです。美容なるものの、女性に及ぼす摩訶不思議な作用は、我々も敬意を払いつつ訝しく見つめています。現代の技術をもってすれば、ご年配の女性専用の、「短時間であまり体に負担をかけないで済む、新しいシステム」が開発されるのではないでしょうか?先んずれば人を制すとか、新しいビジネスチャンスに結びつくかも知れませんね
2008年1月
 開業してから、以前にはついぞお目にかからなかった類の診察シーンに頻回に遭遇するようになりました。私のこれまでの経験では、そうした状況に至る患者さんは、少なく見積もっても全体の5%ほどになります。彼らにかかる時間と手間は、残りの95%の患者さんと同じかそれ以上です。彼らは、誰に相談したらよいのか分からないので、とりあえず対応してくれそうな医者にその苦しさを訴えてみるといった感じです。病気というよりも、そもそも人間であることに根差した問題ですから、いかに本人の苦痛が大きくとも、検査をしても何も異常が見つかりません。
 もとより検査は万能ではないし、すべての異常を漏らさず捉える検査というものはありませんが、そうしたこととは別に、彼らの状態は通常行われる検査そのものになじまないのです。ここで、「検査に異常がないのだから大丈夫」だとか、「気分的なものですから心配ありませんよ」などと無責任に突き放すと、事態は悪化の一途をたどることになります。なぜならば苦痛は厳然と存在するからです。その原因が見つけられないから苦痛は存在するはずがない、と言わんばかりの対応に、満足できるはずがありません。医療にとって最も必要な信頼関係は砕け散り、替わりに不信が散りばめられることになります。別のコーナーでしばらくこのテーマにつきお話ししてみたいと思います。